経営改革の陥りやすい罠と解決策としてのDX思考

株式投資の現場で見る日本の製造業の多くは、十分に外部から求められる環境課題解決への貢献や社会課題への対応のアンテナを張っていないか、利害関係者(ステークホルダー)の理解に十分に促していないか、事業領域の変更など経営改革を行わねばならないという危機感が不足しているか、あっても具体的に進めているとは言い難い状況にある。そこで、まず経営改革についての陥りやすい罠について先行研究を確認し、罠を乗り越えるべく取り組んでいる企業の事例を分析して「DX思考」を見出し、その背後にあるサステナブル経営の実践に辿り着きたい。

 具体的には、自動車産業を事例として、サステナブル経営のなかに日本企業の可能性と、現状維持を打破し経営改革を通じて、企業価値を高める可能性を見出すことができることを検証する。DXの陥りやすい罠として、経営トップのコミットメント不足、グランドデザインの欠如、ステークホルダーの期待あるいは関係の理解不足、危機感の不足、DXの理解の低さ、を先行研究から見出し、その上で筆者独自の項目として、グランドデザインの欠如、を挙げる。


1 DXと成功の要因に関する先行研究

 まず、DXや経営改革の先行研究においては、企業価値を意識した経営として、Rogers(2016)はDXにおいて大きく変化する5つの領域(顧客、競合、データ、革新、価値)を挙げ、それと「DX 推進に影響を与える企業マインドセットの因子」(顧客視点、前倒しのビジネスモデルの進化、次世代の事業の創出)を接続させたことに注目する(辻(2019))。今注目されるDX型思考から見出される経営改革の事例が有益な示唆となるはずである。また、経営改革の視点として、顧客への価値提供(Value Delivery)、社内の仕組み作り(Value Creation)、マネタイズの仕組み(Value Capture)(Linz, Muller-Stewens, Zimmermann (2021))からこれらを整理し、経営を見直すことが有効であると考える。

 経営改革の中でも、ビジネスモデル・トランスフォーメーション(BMX)では、IT技術を活用するだけではなく、ステークホルダーのオーケストレーションが重要となる。例えば、新技術で製造工程を変えれば、従業員については人材配置や教育が変わってくる。また、技術の活用が可能となる理由は、外部でAIなどが開発され使えるようになったからであり、外部の技術情報などを認識する力も重要となる。さらに、内製化に囚われず協業などで外部と接する能力も問われ、既存の取引先のみならず、幅広く技術の所在を知るアンテナが必要である。

 DXの価値創造について、(1)AIを導入し人材を新規事業に配置転換(新規事業)、(2)自社製造ライン向けシステムの外販(業態転換)、(3)DXの6つのステップ(Albukhitan (2020))、(4)Rogers (2016) の5つの領域(顧客、競合、情報、革新、価値)(辻(2019))、(5)DXの表層的整備が業績改善につながる(Westerman et. al.(2011))、を考慮することが適切である。特に、製造業のAI導入による競争優位獲得について武蔵精密工業を含めて例示した近藤(2020)は興味深い。

 続いて、DXの観点からの陥りやすい罠に関わる先行研究・事例として、(1)DXというチャンスと日本企業の失敗例(河合・那須・豊田(2017))(市川(2020))、(2)DXの失敗の2つの罠:new technologyを追う、lack of global goals、(3)株式会社への要請への対応(関係者への説明):社会貢献と企業利益、株主対話との対立懸念(加藤(2021)、Strebel(2020))という誤解に基づく経営行動、(4)ムラ社会(同業他社、系列、地域)の視野の狭さと環境重視への移行など変化への理解の対立(Gane (2019))、(5)大企業中心の開発に問題(Sebastian et al., (2017))、(6)DXの罠:経営課題とデジタル技術を結びつけられない(事例:ロールスロイス(Linz, Muller-Stewens, Zimmermann (2021))、などが見出せる。

 DXにかかわらず既存経営学の一般的な帰結として関連するものには、(1)経営者のリーダーシップ(多田(2018))、(2)人間に依存することのなく、質の高いデータや技能人材等の暗黙知等の属人的な知見を体系化・形式化してデジタルデータとして資産としていく力、新たな現場力(多田(2018)、(3)研究開発を支える経営(河合・那須・豊田(2017))などが、罠に陥らないための条件として指摘されよう。

2 DXで「陥りやすい罠」とグランドデザインの欠如

 まず、現状で解決すべき課題として、経営改革の陥り易い罠とその背景を特に日本の企業にあてはめて考察していく。DXの陥りやすい罠は主に、経営の執行と監督(ガバナンス)の課題であるとことが多いが、①経営トップのコミットメント不足、②グランドデザインの欠如、③ステークホルダーの期待あるいは関係の理解不足、④危機感の不足、⑤DXの理解の低さ、を先行研究から見出し、その上で筆者独自の項目として、⑥グランドデザインの欠如を挙げる。多田(2018)がデザイン、ビッグピクチャーという表現で示したものを、ESG投資に関与してきた筆者の視点として、経営のパーパス、ビジョン、ミッションの文脈に拡張した。


(1)経営トップのコミットメント不足:号令をかけるもそのあとの推進の仕組みをつくらないケース。経営戦略部門による主導があるならばうまくいく場合もあると思われる。業務部門がリーダーシップをとって、専門チームがあり、評価軸を持つと83%の確率でPoCまでは進む(DXというチャンスと日本企業の失敗例について(河合・那須・豊田(2017)、市川(2020)参照)とされる。経営トップに加えて大企業であれば20~50人の変革推進チームにまで増員される必要(Kotter (1995))との指摘もされている。

(2)グランドデザインの欠如:長年ESG投資に関与してきた筆者の独自の視点として、グランドデザインの重要性を指摘する。事業環境に関する変化するスピードと方向性の認識と共に、全体を見て新しい絵を描くという意味で、デザイン(構想)力においてBig Picture (大きな絵)を描くことの重要性が指摘されている(多田(2018))。それを踏まえた上で、企業の存在意義(パーパス)を定義し、ありたい姿(ビジョン)をもって事業の領域、内容(ミッション)を決めるべきである。これら全体がグランドデザインである。

(3)ステークホルダーの期待、あるいは関係の理解不足:(2)の全体像を示し、それに伴う社内外へのコミュニケーションは経営トップ自ら行うべきであるが、それがされない場合は経営改革の意義が良く理解されず改革自体が成功しないか、情報の非対称性から社外からの過小評価や誤解に繋がり企業価値向上を妨げる(Nambisana, Satish and Maryann Feldman(2019))。また「バリューファシリテーターをレバレッジする意識が重要」という理解がない(小野塚・貝沼(2021))。

(4)危機感の不足:困っていないから取り組まない、経営改革は困ってからやるものという固定概念を乗り越えられない、「変革は喫緊の経営課題である」という認識を社員に植えつけられない、経営幹部の75%以上の危機感が必要(Kotter (1995))との指摘がある。

(5)DXの理解の低さ:IT投資は改善である、ITを使った改革の経験不足、CIO不在で、IT投資をROIで測らない(経営戦略の一部ではないとの誤解)(河合・那須・豊田(2017)))、などがある。

(6)改革はジャーニーであることの認識不足:Whyが問いきれていないことが原因とみられ、次世代の経営陣や取締役会が十分に理解して変革を続ける取組みが不足してしまい、結果として、PoCで止まる、顧客満足度調査の公表があるものの早すぎる勝利宣言、社内の改革推進派と反対派というステークホルダーのダイナミズムの見誤りなど、実務的な問題に陥る(Kotter(1995))ようだ。このことから、経営者は、より大きな問題に立ち向かう必要がある。

3 「DX思考」とそれを構成する9つのキーファクター

 企業が経営改革において陥りやすい罠を乗り越える「DX思考」とは何か、について説明する。経済産業省(2018)は、DXを「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と定義している。経営戦略の観点からのDXは、作業プロセスのデジタル化と異なり、事業内容や利益の源泉を変革していくことである。

 次に、本稿おいて、「DX思考」とは、デジタル技術も含めた経営変革のベースにあるもので、(1)顧客への価値提供:顧客、競合、(2)価値創造(社内の仕組み作り):製造プロセス側面(データ、イノベーション)、企業文化(リスク許容度、外向き志向、多様性)、(3)価値転換(マネタイズの仕組み):生み出される価値、に分類できる(Linz, Muller-Stewens, Zimmermann (2021))に(2)の価値創造で重要な側面として経営者を監督し、長期的な企業の方向性を決定する取締役会を含む「ガバナンス」という筆者独自の視点を加えた9つとする。つまり「DX思考」はデジタル技術を利用したビジネスモデルや事業領域の再定義に向けた経営改革における思考回路や価値・文化などを含んでいる。

 企業が経営戦略設定や実施において困難(陥りやすい罠)にある時(例えば自動車産業が内燃機関からEVに大きく変化しているにもかかわらず現状維持を容認する時)、経営者が、進歩が続くデジタル技術を製造業経営に導入せざるを得ないと思いつくならば、アジャイルな価値創造の仕組み作りや外向き志向の文化などの必要に同時に気付かざるを得ない。

 逆に、元々その企業の組織が「DX思考」と共通する企業文化を持っていれば、陥りやすい罠にはまることなく、DXを通じた経営改革を成功させることになろう。しかし「はじめに」で触れたように、日本企業が、総じて現状維持を求め、社会ニーズの変化に対して事業領域を機動的に変える変革・リスクテイクの気概に乏しく、「稼ぐ力」で見劣りする。そこで、「陥りやすい罠」にある企業の経営者が、DX思考に気付きそれを十分に組織に埋め込む場合に、社会課題に沿った事業展開が収益拡大をもたらすと考える。ここで、社会課題へのアンテナの一つとしてのSASBアプローチによる開示と業界への知見もある「真っ当な投資家との対話」がDXを通じた経営改革による長期に持続的な利益機会の獲得の実現性を高めると期待できる。その過程で株主は、経営者が株主価値を向上することを監督し、株主の代表である社外取締役の参画する取締役会(指名報酬委員会も含む)は、継続企業の前提となる企業価値向上に向けたインセンティブと規律の設計を行う。よって、経営改革を実行する経営者とその監督をする取締役会の間に健全な牽制関係が働くといえよう。

 事例研究において検証すべき仮説を「サステナブル(持続可能な)経営に向けての改革が成功する企業はその陥りやすい罠を『DX思考』によって乗り越えている」とする。サステナブル経営は企業価値向上において必須であり、その実現には、事業環境に合わせた経営改革を伴う。経営改革が成功する企業はその陥りやすい罠を「DX思考」によって乗り越えていることを示していく。

 辻(2019)に従えば、「DX 推進に影響を与える企業マインドセットの因子」とは、デジタル技術活用を含めた経営変革のベースにあるものである。ビジネスモデルを急速に変化せざるを得ない環境下でデジタル技術活用による変革が必須となる自動車産業での価値向上の改革において、デジタル技術の観点からの変化(例えば顧客と共創、競合との協働、次世代事業創出)のみならず、組織文化の変革(遊び心、オープンさ、多様性など)が重要な意味を持つことが示される。これらの視点をLinz, Muller-Stewens, Zimmermann(2021)で言及する3つの側面である顧客への価値提供(Value Delivery)、社内の仕組み作り(Value Creation)、マネタイズの仕組み(Value Capture)と接続し、特徴分けをした。

図1 「DX思考」を構成する9つのキーファクター

(下をご覧ください)

出所:辻真典(2019)、Rogers(2016) 、Linz, Muller-Stewens, Zimmermann(2021)を参考に筆者作成

 必要な9項目について、デジタル技術なのか、組織・文化に関連するのかを明示した上で、特徴を記した。ビジネスモデルを急速に変化せざるを得ない環境下でDXが必須となる自動車産業での価値向上の改革において、DXの観点からの変化(例えば顧客との共創、競合との協働、次世代事業創出)のみならず、組織文化の変革(遊び心、オープンさ、多様性など)が重要な意味を持つことが示される。この9項目に沿って第2部で事例研究を行う。

4 事業領域の層累的発展

 以上のような考察と、投資家としての経験や事例研究のプロセスを経た上で、製造業は、サステナブル経営をDX思考支え、事業領域の「層累的発展」を実現することを見出した。後述の武蔵精密工業の場合、外部環境は戦争の終了などで大きく変化することがある。航空機の部品を作っていた企業が突然ニーズがなくなり事業領域を大きく変化しなければならなくなったため、ミシン部品メーカーへと事業を関連産業ではなく新しい「層」へと飛躍している。

 まずLinz, Muller-Stewens, Zimmermann(2021)は、ビジネスモデルの改革において、ビジネスモデルや事業領域の変化を4象限に分けている。これによると、ビジネスモデル・トランフォーメーション・マトリクスとは、商品のカスタマイゼーションと取引のインクルージョンを軸とした4つのビジネスモデルである。取引のインクルージョンでは、例えば自動車の部品を作る「プロダクトベース」から例えば商品検査過程を一つのシステムとして販売するなど「プラットホーム」型に変わるかもしれない。あるいは、部品を生産するだけから、カスタマイゼーションに進み、プロジェクトベースでの製品提供を行う事業領域に進むかもしれない。


図2  プロダクトビジネスモデルからプラットフォームビジネスモデルへの進化

(下をご覧ください)

Linz, Muller-Stewens, Zimmermann(2021)より筆者作成

 一方、本稿は、Linz, Muller-Stewens, Zimmermann(2021)にさらに1次元を加え、全く新規の事業領域に進んでいく、あるいは大幅に拡張していく状態を「累層的発展」と名づけた。


図3  新たな層へと既存、新規事業領域を拡張する「層累的発展」

(下をご覧ください)

筆者作成


 図表3において、上への変化は「ビジネス領域の拡張・飛躍的変化」と考えられる。事業の「飛躍的」つまり全く異なる分野への拡大や変化、横方向への事業の変化は「商品・サービスのカスタマイゼーションの高低」であり、ビジネスモデルがマスを対象とする方向か、カスタマイズして付加価値を増やそうとする方向かの変化を示す。奥に向かう変化は、「取引のインクルージョンの高低」つまりビジネスモデルが。より一般化した図、事業1、2、など差し替え。

 現時点の例に置き換えれば、世界が社会課題としてカーボン・ニュートラルを求めていることを、企業はサステナブル経営において立てたアンテナで知るだろう。自動車業界おいては、ハイブリッド車やディーゼル車が望ましいなどの議論があっても、政治的に電気自動車(EV)しか選択できないことになるかもしれない。これまで仮にガソリン・エンジンを主要な製品としていた企業があるとすれば、このままでは仕事がなくなると理解するだろう。完成車メーカーの変化に付き従っていても、電機業界などからEVに参入して来れば、業界は地殻変動に揺り動かされ、気づいたときには仕事を失いかねない。

 製造業であれば、これを救う手段の一つがDXのような技術革新であり、それを受け入れて適切な体質転換を行うための「DX思考」が必要となるだろうことはすでに述べた。体質転換とは多くの場合主な事業領域を変更することになるだろう。戦争の終了と国内での飛行機生産の禁止、温暖化防止のための内燃機関エンジンの実質的な禁止とは歴史的な意味づけは異なるが、企業にとっては事業ポートフォリオを選び育てる契機であり制約でもある。


図1 「DX思考」を構成する9つのキーファクター

出所:辻真典(2019)、Rogers(2016) 、Linz, Muller-Stewens, Zimmermann(2021)を参考に筆者作成

図2  プロダクトビジネスモデルからプラットフォームビジネスモデルへの進化

Linz, Muller-Stewens, Zimmermann(2021)より筆者作成

図3  新たな層へと既存、新規事業領域を拡張する「層累的発展」

筆者作成